生涯スポーツの拠点として、子どもから高齢者の方まで緑豊かな環境の中でスポーツに親しめることを目的とした施設です。日本陸上連盟4級公認の8コース400メートルトラックや日本グランドゴルフ協会推薦のコースを備え、また遊具を配した芝生スペースは小さなお子様を持つ家族連れに好評です。
野球場とテニスコートが併設されたスポーツ施設で内野観客席は階段式1,500人収容、外野観客席は芝のスロープで3,200人収容、テニスコートは人工芝で6面あります。野球場では毎年プロ野球ウエスタンリーグの試合も開催されます。施設の周りには羽衣ステーションの「桜の植樹」が行われています。
磯砂山は、羽衣伝説発祥の地とされ、標高661m、頂上へ続く1,010段の階段を上りきるのが、磯砂山登山の醍醐味。山頂の展望台からは、大江山・天橋立・小天橋が一望でき、すばらしい景色が疲れを癒してくれます。
天女の里は、磯砂山(いさなごさん)の麓にある施設で、キャンプサイトやロッジ、研修施設を備え、ファミリー、グループ、会社など仲間との楽しいひと時をすごせます。乙女神社は、天女の娘の1人が祀られているとされ、お参りすると美女が授かるといわれています。
丹後震災記念館は、昭和2年3月7日丹後地方に甚大な被害をもたらした丹後大震災(北丹後地震)の記憶を後世に伝えるため昭和4年12月に建設された鉄筋コンクリート造、地上2階、地下1階の建物です。昭和初期の鉄筋コンクリート造の建物としても評価が高く、平成17年3月10日京都府指定文化財となっています。
旧峯山藩主「京極家」7代藩主 京極高備(たかまさ)公が、丸亀・多度津の両京極家に斡旋を依頼し金毘羅宮と交渉され、文化8年(1811)現在の峰山町泉の地に社殿を建立、平成23年に御鎮座200年を迎え峰山町内で大祭が行われました。
縁城寺は、養老元年(717AD)インドの高僧「善無畏三蔵」により開かれたと伝えられる古刹(古い由緒あるお寺)で、御本尊は国の重要文化財で秘仏の木造千手観音立像です。また、境内にある石造宝篋印塔も重要文化財で、修験道で用いる背負い運搬具の「金銅装 笈(おい)」は京都府指定美術品であるなど、その他多くの重要美術品、府指定、市指定文化財を所蔵しています。
慶徳院は臨済宗天龍寺派の寺院です。元文四年(1739)再建といわれる本堂には、江戸時代末期の画家・長澤蘆州(ろしゅう・円山応挙の高弟である長澤蘆雪の子)作の代表作とも呼べる方丈壁画が四十四面もあります。
常立寺(じょうりゅうじ)は、峯山藩設立時、近くにあった玉葉山光明寺を現在の場所へ移し、三代藩主京極高明により初代、二代藩主の戒名から「安泰山常立寺」と改名された峯山藩京極家の菩提寺です。初代藩主京極高通より歴代藩主肖像画が所蔵され、また時の藩主より暖簾格式を与えられた丹後ちりめんの始祖森田治郎兵衛の墓碑もあるなど京極家とのつながりの深さが感じられます。
丹後ちりめんの創始者として知られる絹屋佐平治が、江戸享保年間(1716~1735)、禅定寺の観音様に7日間の断食祈願を行い、初めて丹後ちりめん織に成功した寺として知られています。江戸時代以降は、丹後一円にわたる織物関係者の信仰を集めてきました。この織り初め縮緬は、シボ(細かな凹凸)を持つ厚手のちりめんで、今でも寺宝として禅定寺に残されています。