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はじめまして。わたくしども『はごろもネコ』と申します。
“峰山町をよりよいまちに”という使命を受け、
峰山のよいところを、たくさん発掘していきたいと思っております。
峰山町発祥である『丹後ちりめん』でできた羽衣を纏って、
今日もみなさんにホットな情報をお届けします!
羽衣こまこ | 名 前 | 羽衣にゃんた |
---|---|---|
京丹後市峰山町 | 出身地 | 京丹後市峰山町 |
天保3年(1832年) 7月7日 | 誕生日 | 天保17年(1846年) 4月10日 |
181歳 | 年 齢 | 167歳 |
思いやりのある世話やき | 性 格 | マイペースなのんびり屋 |
峰山の歴史を調べること | 趣 味 | 峰山の町を散歩すること |
丹後ばらずし、新鮮な野菜 メロン、スイカ | 好きな食べもの | 丹後の地酒、新鮮な地魚 |
金刀比羅神社 | お気に入りの 場所 | 磯砂山(いさなごさん) |
2016年08月26日(金)
第1回こまねこまつりを平成28年9月18日(日)午前10時から午後4時頃まで、金刀比羅神社境内において開催します。詳細は下記アドレスを見て頂けば詳しく紹介されています。
https://www.facebook.com/komanekomaturi/
http://komanekomaturi.wixsite.com/index
当日は丹鉄峰山駅西口コンコース付近にて第9回 羽衣ステーション「らくざ」も同時開催します。
楽しい一日を峰山のまちなかですごして下さい。皆様の参加をお待ちしています。
2016年08月26日(金)
2016年02月23日(火)
2015年11月24日(火)
大和コロニーの本あります
あと5冊。1冊1,800円。消費税は羽衣ステーションが負担します。
お申し出は、峰山「羽衣ステーション」事務局へ
丹後出身で明治の冒険者達を扱った「大和コロニー」は、フロリダに「日本」を残すことになった移民達の壮絶な生き様をを描いた本です。ノンフィクション作家で著者・川井龍介さんの峰山、宮津での講演もあって、冒険者達の喜怒哀楽は圧倒的な迫力で私たちの胸に迫ります。
とりわけ終章で語られる移民最後の生き残り・Mさんの単独者としての暮らしぶりにはハラハラさせられます。結果的には、この人の切り拓いた広大な土地が、日本公園としてフロリダの地に花を咲かせるのですが、まさに波瀾万丈の人生模様。失恋のため丹後を飛び出した若者が、齢70歳の下り坂に向かったとき、かっての恋人のもとに多くの手紙を寄せ、異国の地での近況をつづる様子は胸を打ちます。
是非、「大和コロニー」、ノンフィクションの感動物語を手にしてください。涙なくして読めませんよ。
2015年10月23日(金)
「こんな日本人がいたことを知っていますか」。大きな懸垂幕が掲げられた会場には、およそ50名あまりの皆さんが参集され、講師・川井龍介先生のお話に耳を傾けました。明治の昔、日本を飛び出し、アメリカのフロリダに開拓民として活躍した丹後出身者の物語です。かっての「日本村、日本コロニー」は、今や大規模な日本公園としてアメリカの人たちに親しまれているのですが、当時の入植した人たちの波瀾万丈の人生、恋いあり苦労ありの生き様、その足跡を、日本とアメリカを往復することで丹念に取材された川井先生のお話しは、ズシンと胸に迫るものがありました。このノンフィクションは、「大和コロニー(フロリダに「日本」を残した男たち)」という書籍(旬報社刊)に結実しています。感動間違いなし。是非、お読みください。
驚いたことは、この移民のなかに京丹後市出身の若者が多く含まれていたこと。いわば宮津市以北の丹後半島の人たちが、遠く離れたアメリカのフロリダで、大和コロニーという日本人村の中心を担っていたということです。私たちの地域に生まれ育った人たちが、ひとりの冒険者として夢や希望をもってアメリカに旅立って行った。そんな人々の熱意が、今の私たちの活動や地域づくりに勇気を与えてくれる、そんな気がします。
もうひとつ。大和コロニーへの移民計画を支えた経済的な基盤は、丹後ちりめんで得られた潤沢な資金であったことが、川井先生の調査研究で判明したのですが、昭和の時代に入っても海外でちりめんを元に活躍された方がいました。峰山町の某区出身の藤原さんと言われる方。海外で成功を収められた藤原さんは、昭和20年代の後半に金200万円という大金を寄贈されました。このお金は藤原さんの出身地に公民館を建てるという形で残りました。地域の経済や人々の暮らしを支えていた丹後ちりめんが、海外でも大きな富の源になっていたことを示すエピソードでもあります。「是非、その公民館を見せてください」。川井先生のご要望に応え、今も現役で使われている公民館を訪ねました。一番冒頭のPHOTOです。
この地域に、明治の昔、海外で活躍された人たちが居たこと、そしてその人たちが自分たち故郷をどんな思いでみつめていたのか。志し半ばで倒れた人、生涯にわたりフロリダと共にあった人など、様々な移民者の思いや暮らしぶりを描き出し、私たちの目の前に明らかにしていただいた川井先生には、感謝の気持ちでいっぱいです。